タイヤと共に―
北陸リトレッド50年の歩み
北陸リトレッドは、ONODANIグループの中核企業として、会社設立時からリトレッドタイヤの製造をスタートし、
わが国におけるリトレッドタイヤの啓発と普及に尽力してきました。また、マイカー時代に先駆けたタイヤショップ
の展開、環境保全の高まるニーズを背景にリサイクル事業をスタートするなど、タイヤ関連の事業を通じて
お客様のニーズにマッチした製品とサービスをお届けしてきました。タイヤと共に走り続けてきた半世紀をご紹介します。
北陸リトレッドは、ONODANIグループの中核企業として、会社設立時からリトレッドタイヤの製造をスタートし、わが国におけるリトレッドタイヤの啓発と普及に尽力してきました。また、マイカー時代に先駆けたタイヤショップの展開、環境保全の高まるニーズを背景にリサイクル事業をスタートするなど、タイヤ関連の事業を通じてお客様のニーズにマッチした製品とサービスをお届けしてきました。タイヤと共に走り続けてきた半世紀をご紹介します。
創業前夜
戦後から10数年、日本はモータリゼーションの時代を迎えます。これに伴い道路舗装も進んでいきますが、昭和30年代は国道ですら未舗装が多く、県道にいたっては石ころだらけでした。当然、自動車のタイヤは消耗が激しくなります。しかし、当時はまだ新品タイヤの価格が高く、タイヤはつるつるにすり切れるまで使われていました。
ONODANIグループの創業者・三村義雄は「これだ!」とモータリゼーションとタイヤ消耗の課題を察知します。「これからは自動車の時代。その足元を支え、安全を守るのはタイヤだ」と、タイヤ関連事業に乗り出したのです。
1961年(昭和36年)株式会社小野谷屋を福井県武生市に設立。乗用車やトラックのパンク修理、摩耗したタイヤの部分再生を手がけるようになり、それが後の国産初電動式タイヤチェンジャーの開発や、北陸リトレッドタイヤ工業株式会社の設立につながることになります。
1963年(昭和38年)越前市の御霊神社のお祭り宣伝カー。「世界の水準を行く小野谷のタイヤ更新修理」の言葉に当時の意気込みを感じます。
北陸リトレッドタイヤ工業の始動 1967年(昭和42年)
1969年(昭和44年)当時の北陸リトレッドタイヤ工業の社員。
三村義雄はアメリカ研修を通じて、現地でリトレッドタイヤが普及していることを知り、「日本でもきっと市場がつくれる」と確信していました。そして、1967年(昭和42年)北陸リトレッドタイヤ工業株式会社を設立。小野谷屋で手がけていたタイヤの部分再生技術を活かして、乗用車を中心とした本格的なリトレッドタイヤの製造に踏み出しました。
武生市(現越前市)家久にボイラーや加硫機を備えた工場を新設。製造機械も独自に開発しながらリトレッドタイヤ製造が始まりましたが、安定した製造方法の確立には5年間の模索期間が必要でした。販売面でも苦戦を強いられていました。当時はまだリトレッドタイヤの知名度や信頼度が低く、売上は思うように伸びません。それでも社員は「決してあきらめない」強い気持ちで一丸となり、この苦難に立ち向かっていきました。
オイルショックを機にリトレッドタイヤの需要急増 1973年(昭和48年)~
社員たちの苦労が実ったのは、6年後の1973年(昭和48年)でした。
第一次オイルショックにより、新品タイヤの不足と価格高騰が起こり、リトレッドタイヤの需要が急激に伸長したのです。社員がリトレッドタイヤの安全性を根気よくアピールし続けてきた努力の甲斐もあり、この頃には乗用車に加えトラック・バスのリトレッドタイヤも手がけ始めていました。
同年、生産能力を増強するために第2工場を開設。1979年(昭和54年)には第二次オイルショックによるリトレッドタイヤ市場の急拡大に対応すべく第3工場を開設しました。
トラック輸送が急激に伸びた頃、北陸リトレッドタイヤ工業の社員も遠距離用のトラック向けのタイヤを積み込み、中部、北信越、関西へ営業に出向いていました。
マイカー時代に対応するタイヤショップをオープン 1979年(昭和54年)~
1979年(昭和54年)に誕生したタイヤプロショップ1号店「タイヤセールス福井」。この後「タイヤセールス武生」「トラックタイヤサービス武生」「タイヤセンター福井」がオープンしました。
1970年代、日本の人口が1億人を突破すると自動車も3.3世帯に1台の割合で普及し、本格的なマイカー時代が到来しました。当時の福井県内にはタイヤショップが少なく、ONODANIグループは多様化する車種に対応する豊富な品揃えのタイヤショップを次々とオープンさせていきます。
1980年代に入ると公共工事が増加し、福井県内でも大型トラックやトレーラーが行き来し始めます。そんな中で1984年(昭和59年)にオープンした「トラックタイヤサービス武生」は、トレーラーでも楽々と入場できる大型ピットを備えた全国でも珍しい大型車専用ショップとして注目を集めました。このような一連のタイヤショップの誕生と成功は、タイヤセールスグループの社員たちに、「乗用車から大型車まで対応するタイヤのプロショップ」としての誇りを植え付けたのです。
新たなスタート 1986年(昭和61年)~
昭和50年代後半になると、日本経済の長引く低迷と更生ラジアルタイヤの販売不振により、北陸リトレッドタイヤ工業の成長に陰りが見えてきました。
1986年(昭和61年)に社名を「北陸リトレッド株式会社」に変更し、これまでの近距離向けトラック市場に加えて、遠距離の輸送用トラックのリトレッドタイヤにも進出していきます。
1988年(昭和63年)に北陸自動車道が全面開通するなど、全国の高速道路網が整備され、トラック輸送が急激に伸びていた頃でした。耐久性に優れたプレキュア製品はたちまち評判となり、北陸リトレッドは再び息を吹き返していきます。
タイヤの一生に責任をもつ 「リサイクル部」スタート 1993年(平成5年)~
1993年(平成5年)リサイクル部スタート。
タイヤの一生の最終段階、すなわち廃タイヤの処理まで責任をもって取り組むために、1993年(平成5年)リサイクル部を発足しました。独自のネットワークで広領域から廃タイヤを回収し、ONODANIグループ会社オリジナルのタイヤ切断機を使って年間約6千トンのタイヤチップを製造。製紙会社、セメント会社、製鉄会社が使う重油の代替燃料に利用され、環境に優しいリサイクル素材として注目を集めています。
OR車両・LT車両のリトレッドタイヤに進出 1996年(平成8年)~
1996年(平成8年)OR車両(クレーン、パワーショベルなどの産業・建設車両)タイヤをリトレッドする大型製造設備を導入しました。当時はプレキュア方式による高品質なOR車両のリトレッドタイヤを手がけている企業は少なく、3年後には1,000本の生産・販売を実現しました。
1998年(平成10年)にはLT車両(2トン以上の小型トラック)のリトレッドタイヤ製造をスタート。急成長していた宅配便大手企業の車両約100台を対象に1年間テストしてもらい、高い評価を得たことにより車両700台分の受注に成功しました。
1996年(平成8年)より建設車両用リトレッドタイヤを製造。
量販店と差別化した大型専門店をスタート 2004年(平成16年) ~
2004年(平成16年)に誕生した第4のフラッグシップ店舗「タイヤセールス福井北」。
2004年(平成16年)タイヤセンター武生、タイヤセンター福井、タイヤセンター坂井に次ぐ第4のフラッグシップ店舗「タイヤセールス福井北」がオープンしました。タイヤとアルミホイールの専門店として圧倒的な在庫量を誇り、取扱いメーカー数は輸入商品を含め福井県内一番を目指した大型店舗です。これで、ブリヂストンのカーライフ提案新業態として展開した「タイヤ館武生」、「タイヤ館武生東」などを加え、タイヤセールスグループは福井県内に10店舗を数えるまでに拡充しました。
ISO9001取得。品質向上と安全環境のために 2007年(平成19年)~
LT車両向け製品がラインナップに加わり、これまで以上に多品種少量生産を実現するためには、旧本社・工場では手狭になっていました。そこで2007年(平成19年)新たな生産拠点計画がスタートしました。
また同年、リトレッドタイヤ専業企業の中でいち早く国際規格ISO9001を取得。各製造工程において求められる厳しい品質基準をクリアする体制を築き上げていきました。
2009年(平成21年)には各種検討を踏まえ、新工場に移転し、最新の設備でCOLDキュア(プレキュア)方式のリトレッドタイヤ生産を開始しました。
2015年(平成27年)タイヤセールスグループが福井県から「女性活躍推進企業」に認定されました。女性が活躍する環境づくりは、北陸リトレッドが昭和50年代後半から力を入れてきた取り組みで、女性チームによる女性目線での働き方の見直しと、女性のお客様への対応が高く評価されたのです。
2009年(平成21年)最新のCOLDキュア設備を導入。
「ふくい女性活躍推進企業」として福井県より表彰状を授与。
HOTキュア新工場が稼働。次の50年に向けて 2016年(平成28年)~
2016年(平成28年)念願のHOTキュア新工場が稼働。
2016年(平成28年)念願のHOTキュア新工場が稼働しました。
旧工場の1.5倍の敷地にHOTキュア(リ・モールド)方式と、7年前に移設したCOLDキュア(プレキュア)方式の設備を配し、台タイヤの受入から加硫、出荷までの効率的な一貫生産ラインが完成しました。
日本のリトレッドタイヤ市場は、コスト削減をめざす企業や環境保全のニーズを背景にますます拡大しています。その中で、北陸リトレッドは半世紀にわたり培われた技術とノウハウ、多品種少量生産の強みを活かしながら、次の50年に向けて、さらなるチャレンジを続けています。
沿 革
1967年(昭和42年)5月 | 北陸リトレッドタイヤ工業株式会社設立 |
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1973年(昭和48年)4月 | 第二工場新築落成 |
1977年(昭和52年)6月 | 北陸ゴム資材株式会社設立 |
1979年(昭和54年) | 第三工場開設 オイルショックにより生産拡大 |
1979年(昭和54年) | タイヤセールス福井店オープン |
1981年(昭和56年)10月 | タイヤセールス武生店オープン |
1983年(昭和58年) | COLDキュア(プレキュア)方式の製造設備採用 |
1984年(昭和59年)12月 | タイヤセンター武生店オープン |
1986年(昭和61年)7月 | 北陸リトレッド株式会社へ社名変更 |
1989年(平成元年) | タイヤセンター福井店オープン |
1991年(平成3年) | 約1万本のリトレッドタイヤを保管できる倉庫が完成 |
1993年(平成5年) | タイヤセールス敦賀店、タイヤセールス武生東店オープン |
1993年(平成5年)1月 | リサイクル部スタート |
1996年(平成8年) | 建設車両用リトレッドタイヤ製造設備導入 |
1996年(平成8年)7月 | タイヤセールス坂井店オープン |
1997年(平成9年) | 「タイヤセールス武生店」を「タイヤ館武生」にリニューアル |
1998年(平成10年) | 小型トラック用製造設備増強 |
1998年(平成10年)5月 | タイヤチップ使用による土地改良実験実施(福井高専との共同開発) |
2003年(平成15年) | 「タイヤセールス武生東店」を「タイヤ館武生東」にリニューアル |
2004年(平成16年) | タイヤセールス福井北店オープン |
2007年(平成19年) | 新工場移設の為に、現社屋&土地取得 |
2007年(平成19年) | タイヤセールス車検センターオープン |
2007年(平成19年) | ISO9001 取得 |
2009年(平成21年) | COLDキュア工場移転&COLDキュア最新設備導入 |
2013年(平成25年) | 年間7万3千本の生産達成 |
2013年(平成25年) | 「タイヤセールス車検センター」を「TSカーズ」としてスタート |
2014年(平成26年) | 台タイヤ保管庫完成 |
2016年(平成28年)4月 | HOTキュア(モールドキュア)新工場稼働開始 |
2017年(平成29年)9月 | ISO9001:2015取得 |
2018年(平成30年)9月 | 「タイヤセールス館武生東」と「タイヤ館武生」を統合しリニューアル |